−日記帳(N0.2081)2019年03月10日−
9年間使い続けた愛車プリウスに別れ
−日記帳(N0.2082) 2019年03月11日−
東日本大震災八周年追悼式


お別れの日を迎えた愛車プリウス

東日本大震災八周年追悼式


今日、9年間乗り続けてきた愛車のプリウスが駐車場から消えました。
色が人気のシルバー、サンルーフ、ソーラーパネル付きで、走行距離2万キロ弱でタイヤは新品
同様ですから需要が多く、60万円で売却できました。しかも、少し目立つ車体の傷や関係官庁等
への届出等も売却先で処理して頂けるとのことですので助かります。

この車で、友人たちとドライブ、渥美への釣行、娘の嫁ぎ先や名古屋の親戚の訪問等行いました。
特に、渥美でのメバル釣りについてはお世話になりました。
私のマイカー歴50年、乗用車歴は(サニー→プリメーラ→ユーノス800→プリウス)です。
初乗り以来の走行距離は40万kmに及んでおります。

サニー

プリメーラ

ユーノス800

プリメーラのような大衆車から名車と言われた一応高級車のマツダ・ユーノス800買い換えたの
は娘の嫁ぎ先の義父がゴルフをするために購入した新車のマツダ・ユーノス800を体調不良のた
め私に譲りたいとの話があり、100万円で義父から購入しました。

ゆとりの2,500ccで、内装の質感も素晴らしい上乗り心地もよく全くトラブルも有りませんでした。
しかし、リッター当たり8km程度しか走らないため、満タン給油の度に万円札が消えていく事態に
閉口し、そして衝撃的なニュースが飛び込んできたことから、買い換えする決心を固めました。

その衝撃的なニュースとは、5月18日の新型プリウスの発表でした。
実は、買い換えの対象車としてハイブリッド車を考えておりましたが、排気量2,000cc以上では
最低も400万円で手が出ませんでした。ところが、新型プリウスは、従来の1,500ccが1,800ccに
馬力アップされ、価額も250万円程度の予想に対して旧型プリウスの価額233万円をも下回る205万円
と発表されたからです。

しかも、エコカー優遇税制の対象車となり、自動車関連税が大幅に減免される上、追加経済対策法案
が成立すれば、13年以上経過した自動車を廃車にして新車に買い替えると最大25万円の奨励金が出る
ことも判り、ユーノス800の車歴を車検証から調べたところ、車検日の9月末で丁度13年経過すること
になるとともに、新型プリウスの最短納期に一致することが判りました。

つまり、予想価額の250万円なら、ナビ等のオプション価額と諸税金を加えると320万円は下らないのに
新型プリウスでは270万円程度、更に13年以上経過した車に対する25万円の奨励金を差し引くと250万円
程度で購入できることが、販売店の担当者説明によって判明したことから購入を決意しました。

こうして、プリウスに9年間お世話になり、今日お別れの日を迎えることになりました。
車の無い生活は不便とは思いますが、今年の11月で免許証の有効期限が切れること、再取得する意思と
能力が無いこと、車の利用頻度が週一程度で低いこと、妻や娘から再取得に反対され散ることの等を
勘案し、車の売却と免許証の返納を決意しました。

愛車は、娘が中古車販売店ガリバーと交渉して、60万円で売却されることになりました。
車体の傷の修復代を加味すればほぼ妥当な金額と思いました。
愛車は、やがて娘の運転で二度と戻ることのない駐車場をを去っていきました。

                      


政府主催の「東日本大震災八周年追悼式」は11日午後、東京の国立劇場で、秋篠宮ご夫妻
や安倍総理遺族の代表らが出席して行われ、地震が発生した午後2時46分に合わせて出席者
全員が黙祷しました。
私もテレビ画面を観ながら、市役所のから聞こえ来るサイレンを聞きながら黙祷しました。

続いて安倍総理が「震災から8年がたち、被災地の復興は着実に前進している。
今後も被災者一人一人が置かれた状況に寄り添いながら、切れ目のない支援を行い、復興を
加速していく。原子力災害被災地域においては帰還に向けた生活環境の整備などを着実に進
めていく」と述べました。

また秋篠宮さまが「困難な状況の中にいる人々が誰一人取り残されることなく、少しでも早
く平穏な日常の暮らしを取り戻すことができるよう、これからも私たち皆が心を一つにし
て被災した地域や人々に末永く寄り添っていくことが大切でありましょう」とお言葉を述べ
られました。

秋篠宮両殿下

このあと岩手、宮城、福島の3県の遺族の代表があいさつしました。
岩手県の遺族代表の高橋勇樹さん(41)は「8年前のあの日からずっと、母を待ち続けています。
親孝行を何一つできなかった自分。
一生このむなしさと悔しさを抱えて私はこれから生きていくのだと8年たった今でも心が忘れ
させない。あの日を決して忘れない」と述べました。

高橋勇樹さん

宮城県の遺族代表の今野昌明さん(52)は「津波が一瞬のうちに足の悪い母を飲み込みました。
手がかりは全く見つけることができず、悔しさと無力さ、絶望の悲しみと辛さで、心の中に
大きな穴が開いたままです。
母さん、どこにいるのですか?世界中からの心温まる支援のおかげで、復興が目に見える形
で進んでいますので、安らかに天から見守っていてください」と述べました。

今野昌明さん

福島県の遺族代表の叶谷守久さん(79)は「うしろを振り返ると、真っ黒な壁のような津波が襲って来
るのが見えました。山によじ登り、妻を引き上げようと手をひいているうち、瞬く間にのみ込まれ、
その手が離れていったことを覚えています。妻がいなくなって8年がすぎました。

最愛の妻の笑顔と、共に過ごした思い出を心に刻み、妻の分まで精一杯生きていこうと思っています」
と述べました。このあと、追悼式では、参列者による献花が行われました。
以下は、秋篠宮殿下のお言葉の全文です。


「今日、3月11日、未曾有の地震とそれに伴う津波が、東北地方を中心に東日本を襲い、2万人を超える
死者および行方不明者が生じた東日本大震災から8年になりました。
この当時の状況は8年を経た今でも決して脳裏から離れるものではありません。
本日ここに、一同と共に、震災によって亡くなった人々とその遺族に対し、深く哀悼の
意を表します。

被災地においてはこの間、人々が幾多の困難を乗り越え、手を携えて、復興に向けての努力をたゆみなく
続けてきました。こうした努力を支援するため、国や全国の自治体、そして国内外の多くの人々が、
さまざまな形で力を尽くしてきました。

その結果、住宅の再建や生活環境の整備、産業の再生、沿岸部の鉄道の復旧、防災施設の整備など、復興の
歩みは着実に進展してきております。また、原子力発電所の事故により避難を余儀なくされた地域においても
、多くの地域で避難指示が解除されるなど、本格的な復興・再生に向けての動きが進んでいます。

しかし、その一方では今なお多くの被災者が被災地で、また避難先で、依然として不自由な暮らしを続けてい
る厳しい現実があります。とりわけ、いまだに放射線量が高いことなどによってみずからの家に帰還できない
人々が多いことや児童および生徒数の減少、さらに根強い風評被害により農林水産業などへの影響が残ってい
ることに思いを馳せると心が痛みます。
さらに、避難生活が長期化する中で、齢を重ねていく高齢者を始め、被災者の心身の健康
のことは、深く心に掛かります。

困難な状況の中にいる人々が、誰一人取り残されることなく、少しでも早く平穏な日常の暮らしを取り戻すこ
とができるよう、また復興の歩みが着実に進展していくよう、これからも私たち皆が心を一つにして被災した
地域や人々に末永く寄り添っていくことが大切でありましょう。

東日本大震災による大きな犠牲の下で、私たちは平素からの避難訓練や防災教育の重要性を強く認識し、
そして過去の災害の記録と記憶が忘れ去られることなく、これを継承していくことがいかに大切であるかを
学びました。この教訓を決して忘れることなく後世へと伝え、災害の危険から多くの人々が守られることを
心より願っております。

今なお困難を背負いながらも、復興に向けて日々努力を続けている人々に思いを寄せ、
一日も早く安らかな日々が戻ることを皆で祈念し、御霊への追悼のことばといたします。」


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