−日記帳(N0.2071)2019年02月11日−
今日は紀元節、但し現在は 建国記念の日
−日記帳(N0.2072) 2019年02月12日−
戦艦「比叡」ソロモン沖で発見される


雲に聳ゆる高千穂の峰

1936年に撮影された戦艦「比叡」


今日は、「建国記念の日」。戦前生まれの方には「紀元節」
1940年2月11日の紀元節の日に、町役場(当時、現在は市役所)から支給された紅白饅頭を食べて近所の
友達と、西暦1940年(昭和15年)が神武天皇の即位から2600年目に当たるとされたことから国民の歌と
して作られた「紀元2600年」を歌いながら行進したことを微かに覚えております。
ただ当時、滅多に食べられなかった甘い饅頭の味の方が記憶によく残っております。


           内閣奉祝會撰定/紀元二千六百年奉祝會・日本放送協會制定 
                 増田好生 作詞/森義八郎 作曲
 
                              「紀元2600年」

                金鵄輝く日本の栄ある光 身にうけて
           いまこそ祝へ この朝 紀元は二千六百年
                   ああ 一億の胸は鳴る

                歓喜あふるるこの土を しっかと我等ふみしめて
             はるかに仰ぐ 大御言 紀元は二千六百年
                   ああ 肇国の雲青し   

               荒ぶ世界に 唯一つ 揺がぬ御代に 生立ちし
             感謝は清き火と燃えて 紀元は 二千六百年
                  ああ 報国の血は勇む

              潮ゆたけき 海原に 桜と富士の 影織りて
                   世紀の文化 また新た 紀元は 二千六百年
                   ああ 燦爛のこの国威


そして学校では、奉安殿に向かって「紀元節」を歌いました。


             文部省唱歌

         作詞:高崎 正風、作曲:伊沢 修

              「紀元節」
 
            雲に聳ゆる 高千穂の 
           高根おろしに 草も木も 
           なびきふしけん 大御世を 
           仰ぐ今日こそ たのしけれ 


            海原なせる 埴安の 
           池のおもより 猶ひろき 
           めぐみの波に 浴みし世を 
           仰ぐ今日こそ たのしけれ 


            天つひつぎの 高みくら 
           千代よろずよに 動きなき 
           もとい定めし そのかみを 
           仰ぐ今日こそ たのしけれ 


           空にかがやく 日のもとの 
           よろずの国に たぐいなき 
           国のみはしら たてし世を 
           仰ぐ今日こそ たのしけれ
 
建国記念日ではなく「の」を挿入して「建国記念の日」としているのが気になります。
戦前、紀元節だった2月11日を建国記念日とすることに、当時の社会党等の野党が挙って
反対したため、与党は“建国されたという事象そのものを記念する日”であるとも解釈でき
るようにし、具体的な日付の決定に当たっては各界の有識者から組織される審議会に諮問す
るなどの修正を行った結果、社会党も妥協し1966年(昭和41年)6月25日に「建国記念の日」
を定める祝日法改正案が成立して今日に至っております。



太平洋戦争中に沈没した戦艦「比叡」の船体の一部が、ソロモン諸島沖の海底で見つかった。
米マイクロソフトの共同創業者、故ポール・アレン氏が率いた探索チームの調査船が1月31日、
船首側に近い位置で切断された船体を確認した。

同諸島にあるガダルカナル島の北西沖で、水深985mの海底に、全長222mあった比叡の船尾側の
150mほどが沈んでいた。船の推進用のプロペラや舵(かじ)板、高角砲や機関銃の弾丸が入っ
ていた箱のようなものも見つかったが、船首側の船体(約70m)は発見できなかった。

比叡は1941年12月の真珠湾攻撃に護衛艦として参加。42年にはガダルカナル島をめぐる戦いに
投入され、同年11月に連合軍の攻撃を受けて舵がきかなくなり、日本軍が自ら水を入れて沈没
させたとされる。太平洋戦争で初めて沈んだ日本の戦艦で、交戦で乗組員188人が犠牲になった。

旧日本海軍の戦史に詳しい広島県の呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)の戸高一成館長は船体
が切断された原因について「船が沈む際に火薬庫が何らかの理由で爆発したのではないか」と分析。
今回の発見については「戦争の悲劇を知り、改めて平和の大切さを考える意味がある」と話した。

2019年2月6日付け「朝日新聞デジタル」より転載
尚、比叡は1914年8月4日、横須賀海軍工廠で竣工され、排水量27,500t、昭和天皇の御召艦として
周知され、親しまれておりました。

探索チームにより発見された戦艦「比叡」

ガダルカナル島

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