−日記帳(N0.1928)2017年03月01日−
今日からの春「弥生」に思うこと
−日記帳(N0.1929) 2017年03月03日−
今日の「雛祭り」に思うこと


春弥生、春到来を告げる一輪の梅の花

ひな壇(代表的な5段飾り)
(一段目:お内裏様 二段目:三人官女 三段目:五人囃子 四段目:随身、随心、御膳、菱台 五段目:仕丁 )

今日から春三月「弥生」です。弥生の由来は、草木がいよいよ生い茂る月「木草弥や生ひ月(きくさいやおひづき)」が詰まって「やよひ」となったと言われております。ここでは、弥生は「初め」を意味しておりますが、弥生3月は卒業式、会計年度の閉めなど、「終わり」の月でもあります。 「弥生」ですぐ思いつくのは、「都ぞ弥生の雲紫に・・・」の北海道大学寮歌です。

都ぞ弥生の雲紫に 花の香漂ふ宴遊(うたげ)の筵(むしろ)
尽きせぬ奢に濃き紅や その春暮ては移らふ色の
夢こそ一時青き繁みに 燃えなん我胸想ひを載せて
星影冴かに光れる北を
人の世の 清き国ぞとあこがれぬ

雪が深々と降る、この春弥生の頃、今から半世紀近い前に北海道大学で共同研究中に宿泊していたクラーク会館で、恵迪寮から聞こえてきたこの寮歌の歌声は忘れられません。

今日3月1日は、第五福竜丸」被曝の日でもあります。 1954年3月1日、太平洋のビキニ環礁でアメリカが水爆実験を行って、近海を航行していた静岡県焼津港所属のまぐろ漁船「第五福竜丸」の乗組員が被曝しました。当時、私は焼津の実家から高校に通っており、「第五福竜丸」は学友の西川さんの実家が所有されていたこと、東大理学部の木村研から多くの研究スタッフが来焼して大騒ぎになったことをよく覚えております。

北大・恵迪寮


1.あかりをつけましょ ぼんぼりに
    お花をあげましょ 桃の花
    五人ばやしの 笛太鼓
    今日はたのしい ひな祭り

2.お内裏様と おひな様
    二人ならんで すまし顔
    お嫁にいらした 姉様に
    よく似た官女の 白い顔

3.金のびょうぶに うつる灯を
    かすかにゆする 春の風
    すこし白酒 めされたか
    あかいお顔の 右大臣

4.着物をきかえて 帯しめて
    今日はわたしも はれ姿
    春のやよいの このよき日
    なによりうれしい ひな祭り

私の実家は兄と両親だけで女の子は居りませんでしたので「雛祭り」は無縁でした。
ただ、母が嫁入り道具として持ち込んだ5段の雛壇と雛人形を飾って眺めたり触ったりするのは
大好きで、五段目の仕丁のお侍さんの刀を抜いたり差したるするのが大好きでした。 

五段目の仕丁のお侍さん

江戸時代は庄屋、大地主、戦後は村長を勤めた名家の末娘として生まれた母に贈られただけに 雛人形はそれなりの物で、子供の私にとっては豪華なおもちゃだったようです。 今住んでいる街を流れている境川の対岸の高浜市は、吉浜人形で知られる雛人形の名産地で以前 はこの季節になるとテレビでコマーシャルが流れたましたが最近は見られなくなりました。

節句は奇数月のゾロ目の6日あるはずですが実際は次の「五節句」の5日となっております。

1月7日…人日の節句(七草の節句)
3月3日…上巳の節句(桃の節句)
5月5日…端午の節句(菖蒲の節句)
7月7日…七夕の節句(笹の節句)
9月9日…重陽の節句(菊の節句・栗の節句)

何故、1月1日と11月11日が無いのでしょうか。 1月1日は元旦で別格になるため代わりに七草の節句として7月7日が選ばれたのでしょうか。 11月11日は奇数の一桁の月でないため除外されたのでしょうか。今日は、その桃の節句です。

現在の新暦では、3月3日はまだ寒く桃の花が咲きませんが、明治5年以前は「旧暦」を使って いたのでので、3月3日は桃の花が咲く季節でしたから「桃の節句」と呼ばれたようです。

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