−日記帳(N0.1900)2017年01月01日−
あけましておめでとうございます
−日記帳(N0.1901) 2017年01月03日−
箱根駅伝で青山学院大三連覇


2017年の初日の出

ガッツポーズでゴールする青学大の安藤悠哉選手


                明けましておめでとうございます。
                  今年も宜しくお願いします。


静岡新聞社機から撮られた元旦の富士山

箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)の世帯平均視聴率(関東地区)が往路(2日)27.2% 復路(3日)28.4%で、今やお正月の風物詩として全国のお茶の間に定着しました。我が家もテレビで見続けました。

第93回東京箱根間往復大学駅伝競走は、青山学院大学が3年連続の総合優勝を果たした。青山学院大学は終始優位にレースを進め往路で優勝し、復路でも7区で年連続区間賞の田村和希選手(3年)が脱水症状を起こし、フラフラになりながらもトップでタスキをつなぎ、青山学院大学が箱根駅伝3連覇、大学駅伝3冠を達成しました。

4年前までは優勝には縁遠い存在だった青山学院大学をここまで強くした原晋監督の手腕が注目されております。彼は中学から陸上部で長距離を始め、中1のマラソン大会で上級生を抑え校内1位。進学した世羅高校では1984年主将として全国高校駅伝2位に貢献しております。たまたま世羅高校OBが監督を務めていた中京大学に進学し3年時に日本インカレ5000メートル3位と活躍しました。

1989年、郷里の中国電力に入社し陸上競技部の創設に参加し1993年には主将として全日本実業団駅伝初出場に貢献しております。 入社5年目の1995年、27歳で選手生活を引退し10年間、中国電力でサラリーマン生活を送っておりますが、ここで蓄熱式空調システム「エコアイス」を社内で一番売り上げて評価を上げております。

箱根駅伝の出走経験や出場校OBではなかったが36歳のとき、母校・世羅高校の関係者から紹介を受け、2004年に青山学院大学陸上競技部監督に就任しました。青山学院大学としては1965年の第41回大会から1975年まで11年連続で箱根駅伝に出場しましたが7位がベストでした。

青山学院大学は1976年の第52回大会で途中棄権で連続出場が途絶えておりましたが、33年ぶりに2009年の第85回大会で原監督のもとで箱根駅伝に復帰しましたが22位に終わりました。しかし、第86回(2010年)大会では8位に躍進させ、41年ぶりのシード権獲得をもたらしました。

2012年の出雲駅伝で「三大大学駅伝」初優勝。2014年全日本大学駅伝3位。2015年第91回箱根駅伝で初の総合優勝に導き、2015年第27回出雲駅伝で3年ぶり2回目の優勝。2016年第92回箱根駅伝で2年連続優勝、2016年の出雲駅伝で2年連続3回目の優勝を皮切りに、2016年全日本大学駅伝優勝、2017年第93回箱根駅伝で3年連続優勝と「大学駅伝三冠」を達成するに至りました。

原監督は、有力な高校選手を全国からスカウトし、部員に目標管理を徹底させることで青山学院大学をマラソン常勝軍団に育て上げました。出来れば2020年の東京オリンピックに向けて日本選手を育成することに携わって頂きたいものです。

第93回東京箱根間往復大学駅伝競走の成績

胴上げされる原監督

背広姿の原監督

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