−日記帳(N0.1888)2016年12月08日−
太平洋戦争開戦75周年記念日を迎えて思うこと
−日記帳(N0.1889) 2016年12月09日−
こうのとり6号搭載のH2B6号機の打ち上げ成功


旧日本海軍第一航空艦隊旗艦空母赤城(基準排水量=26,900t)

打ち上げられるH2Bロケット6号機


昭和30年代、東海道線刈谷駅に近づくと、高い鉄塔が8本並んでいる風景が観られ、名古屋が近いことを知らせてくれました。その鉄塔は、かっての依佐美送信所の送信塔でした。明治以来、欧米との通信が欧米系の海底電線に依存していたことが憂慮され日本独自の対外通信施設の必要性が高まったことから設置されました。

戦前の依佐美送信所本館

依佐美送信所は大電力の長波送信所として設計され、昭和2年7月に着工、昭和4年3月に完成しまた。 依佐美送信所にはドイツ製テレフンケン式長波送信装置と高さ250mの当時としては東洋一の高さを誇る鉄塔8基に懸架した壮大なアンテナが設置され、空中線出力700kwは長波としては当時世界最大でした。

第二次大戦中、依佐送信所の長波の送信施設は日本海軍に利用されて終戦に至りましたが、昭和27年7月から米軍に提供され運用が再開されました。そして平成6年8月の東西冷戦の終焉により返還された後、平成9年3月にアンテナ、鉄塔が撤去されました。 半田と刈谷を車で往復した折りに撤去される状況を目撃したことをよく覚えております。

当時の依佐送信所の発電機

当時の依佐送信所の鉄塔

現在の依佐美記念館

75年前の1941年12月8日午前3時19分(現地時間7日午前7時49分) 真珠湾攻撃暗号電報「ニイタカヤマノボレ」がこの依佐送信所と千葉県の船橋送信所から真珠湾近くに待機していた第一航空戦隊旗艦空母「赤城」の南雲忠一海軍中将宛てに送信されました。 依佐送信所から潜水艦向け超長波が送信されたと推定されております。

海中では短波より、波長の長い長波の方が伝わりやすいことから依佐送信所からの超長波が利用されたものと思われます。 この暗号電報は「12月8日午前零時を期して戦闘行動を開始せよ」を指示しておりました。 日本の潜水艦の日誌に「超長波17.44KCは深度17mにて受信」と記録されていることから依佐送信所から送信されたことが裏付けられております。

日本が英米等に宣戦布告した状況については、語るべき人たち、語られるべき人たちが多くを語られないまま世を去りつつありますので、多くの事実関係がこのまま闇に葬られていくものと思います。戦った方々、戦いに関与された方々、遺族の方々、是非とも語り部としての役を果たして頂きたいと思います。

現在、国際宇宙ステーション(ISS)には第50次長期滞在クルーの3名がが滞在しております。 シェーン・キンブローさん(53歳:米国)、アンドレイ・ボリシェンコさん(52歳:ロシア)、セルゲイ・リジコフさん(42歳:ロシア)です。キンブローさんは11月の米大統領選で宇宙から投票してことで話題を集めました。

この3名のための食料をはじめ諸々の生活物資の調達と排便物などの廃物の排出を日本の無人補給船「こうのとり(HTV)」が 行っております。今日12月9日午後10時26分、こうのとり6号を搭載したH2Bロケット6号機が鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げられ、約15分後、HTVを高度約290kmで予定の軌道に投入し成功しました。

「こうのとり6号」には宇宙飛行士の食料や飲み水のほか、ISSの主電源に初採用された日本製新型リチウムイオン電池入りのバッテリー、大学や企業が開発した計7基の衛星などが積み込まれております。 H2Bは、世界最大の約6トンを積載できる「こうのとり」を打ち上げるため、主力のH2Aを改良して最大打ち上げ能力を増強した国産ロケットで、今回で6回連続の打ち上げに成功しております。

H2Bロケット

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