−日記帳(N0.1867)2016年10月27日−
三笠宮崇仁親王殿下の薨去を惜しむ
−日記帳(N0.1868) 2016年10月29日−
日本ハム、広島を下して4年ぶり日本一


2016年1月2日 新年一般参賀で定位置の三笠宮崇仁親王殿下(左に信子妃殿下、右に彬子女王殿下)

敵地 マツダスタジアムで宙に舞う栗山・日本ハム監督


重大ニュースを伝える携帯の警告音が鳴り響きました。開けてみると、三笠宮崇仁親王殿下の薨去のニュースでした。日頃から、皇室には敬意をもって大きな関心を抱いておりますのでショッキングなニュースでした。

あるネットのニュース速報では「ご逝去」と表示しておりましたが、正確には「薨去」とすべきと思います。 明治天皇の玄孫の竹田恒泰さんも「 本日、昭和天皇の弟宮であられる、三笠宮崇仁親王殿下が薨去なさいました。御年100歳でございました。心から哀悼の意を表したいと思います。」と述べておられます。

皇室のご逝去は、そのお立場によって次のように呼称されております。

        崩御(ほうぎょ):天皇、皇后、皇太后、太政皇太后
        薨御(こうぎょ):皇太子
        薨去(こうきょ):皇太子妃、親王、内親王
        卒去(そつきょ):王、女王

一般人では、「死亡」「永眠」「他界」が使われます。
  「死去」は一般的な表現、「逝去」は敬語表現です。

従って、身内の訃報は「死亡」、他人の訃報は「逝去」を使います。
ただ、 「死亡」は人に知らせるときにあまり使わない言葉です。
「永眠」や「他界」は死から数年もしくは数日経ってから使う事が多いです。
「鬼籍に入る」は、地獄の閻魔大王の手元にある閻魔帳である過去帳に記載されることを意味しますので あまりいい表現ではないように私には思えます。

  三笠宮崇仁親王殿下は、昭和天皇の末弟で天皇陛下の叔父にあたられます。 享年100歳は記録に残る中で皇族最高齢でした。今年5月より急性肺炎と診断され、東京の聖路加国際病院に入院されておりました。

大正天皇の第四皇男子として生まれた三笠宮殿下は、比較的自由にその人生を歩まれ軍人として太平洋戦争を経験されました。。戦後は古代オリエント史研究に励まれ、「オリエントの宮さま」と呼ばれ東京芸術大学、東京女子大学、青山学院大学等の教壇にも立たれました。

スポーツ振興や国際親善など、幅広い分野で功績を残されております。また、ダンスがお好きだったことから社交ダンスの日本選手権者には「三笠宮杯」が贈られます。

皇室の家系図

プロ野球の日本シリーズは、29日夜、広島市のマツダスタジアムで第6戦が行われ、日本ハムが10対4で勝って対戦成績を4勝2敗とし、10年ぶり3回目の日本一を決めました。日本シリーズは、日本ハムが3連勝で対戦成績を3勝2敗として、日本一に王手をかけて、29日夜、広島市のマツダスタジアムで第6戦が行われました。

日本ハムは1回、第5戦でサヨナラ満塁ホームランを打った西川選手のスリーベースヒットでチャンスを作り、3番・岡選手のタイムリーで1点を先制しました。日本ハムは2回に守備のミスが重なって、広島に2点を奪われ、逆転されましたが、4回に田中賢介選手のタイムリーと西川選手の2点タイムリースリーベースで3点を挙げ、再び4対2とリードしました。

対する広島は、5回に丸選手のホームランで1点差に迫り、6回には代打・下水流選手のタイムリー内野安打で4対4の同点に追いつきました。同点のまま8回、日本ハムは、広島の4人目、ジャクソン投手を攻めて2アウトから3連打で満塁のチャンスを作り、4番・中田選手が押し出しのフォアボールを選んで勝ち越しました。

日本ハムはさらに6番・レアード選手に満塁ホームランが出るなど、この回一気に6点を挙げてリードを広げ、10対4で勝ちました。日本ハムは4連勝で対戦成績を4勝2敗として10年ぶり3回目の日本一を決めました。このシリーズの最高殊勲選手には第6戦での満塁ホームランのほか、第4戦でも勝ち越しのツーランホームランを打つなど活躍した日本ハムのレアード選手が選ばれました。

ー以上、10月29日付け「NHK NEWS WEB」よりー


8回表 満塁ホームランのレアード選手

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