−日記帳(N0.1797)2016年04月29日−
4月29日への思い
−日記帳(N0.1798) 2016年04月30日−
友人の弟さんの死について


即位の時の昭和天皇

事件を担当して名古屋千種警察署


今日、4月29日は「昭和の日」の国民の祝日です。
1948年(昭和23年)の祝日法施行以来、昭和天皇誕生日の4月29日は国民の祝日である「天皇誕生日」
とされておりました。その後1989年(昭和64年)1月7日の今上天皇即位により、天皇誕生日は今上
天皇の誕生日である12月23日に改められましたが、ゴールデンウィークの一角を構成する祝日を廃止
することによる国民生活への影響が懸念され、4月29日を「みどりの日」と改めた上で祝日として存続
させることになりました。

その後、2005年(平成17年)の祝日法改正により、2007年(平成19年)以降は「みどりの日」を従来
「国民の休日」であった5月4日に上書き的に移動し、4月29日を「昭和の日」とすることとなりました。
日本の祝日は、下記に示すように年間16日あります。


・元日       1月1日 年のはじめを祝う。 
・成人の日    1月の第2月曜日 大人になったことを自覚し自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます。
・建国記念の日 2月11日 政令で定める日 建国をしのび、国を愛する心を養う。 
・春分の日   春分日 自然をたたえ、生物をいつくしむ。 
・昭和の日   4月29日 激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いを致す 
・憲法記念日  5月3日 日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する。 
・みどりの日  5月4日 自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ。 
・こどもの日  5月5日 こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。 
・海の日    7月の第3月曜日 海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う。 
・山の日    8月11日 山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する。 
・敬老の日   9月の第3月曜日 多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う。 
・秋分の日   秋分日 祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。 
・体育の日   10月の第2月曜日 スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう。 
・文化の日   11月3日 自由と平和を愛し、文化をすすめる。 
・勤労感謝の日 11月23日 勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう。 
・天皇誕生日  12月23日 天皇の誕生日を祝う。 

今日の「昭和の日」は「昭和の時代を顧み国の将来に思いを致す」がその趣旨とされておりますが、
昭和生まれの私には「昭和天皇の遺徳を偲ぶ」の思いが強いです。
戦前戦後を昭和天皇を抜きにして語ることはできません。
今日は、しばし昭和天皇に思いを致して過ごしたいと思います。 



今晩、友人と会食している時、それとなく友人の二番目の弟さんのことを尋ねてみました。
すると、友人は信じられないことを淡々と語りだしました。
以下、その話を友人の立場になってドラマ風に書き下ろしてみました。

今年の春先のことでした。
名古屋市でも高級アパートとして知られている池下アパートで、ある部屋の郵便受けが一杯
になって廊下まで郵便物等がはみ出しておりました。
日に日に、はみ出し物が廊下に散乱するに至って、周囲の住人たちは管理人を通して本人に
片付けをするよう申し入れしました。

管理人が駆け付け、ドアを叩いて本人を呼び出すものの応答が全く無いことから、千種署に
警察官の立ち合いを要請しました。到着した2人の警察官の立ち合いの下、管理人が合鍵で扉
を開けたところ、暖かい空気にのって異臭が漂ってきました。

暗い部屋に暖房機の機械音が鳴り続いており、部屋に敷かれた布団に弟さんの変死体が包まれ
ておりました。やがて連絡を行けて愛知県警から駆けつけた検視官が死体検分し、犯罪性が無
いことを千種署の担当刑事に告げました。

部屋には小さな仏壇が有りました。弟さんが平成9年までこの部屋で同棲していた女性の遺影が
その仏壇に飾られておりました。入籍こそしておりませんでしたが幸せな生活をここで送ってい
たのでしょう。弟さんは、その後今年までの19年間、この仏壇に手を合わせて入たのでしょか。

そこで千種署は変死人の身元調査を開始、友人が実兄であることを割り出し友人を呼び出したた
のでした。こうして、3月25日に名古屋の千種警察署から友人に電話が掛かってきました。
友人が千種署に出頭したところ、友人が殺害したのではとの疑惑も含めて取り調べを受けました。

変死人が友人の実弟であることを立証するため友人の咥内からDNA試料が採取され後日兄弟関係に
あることが裏付けられ友人に伝えられました。こして、兄弟関係が実証されたことを受けて、
弟さんの死因を知りたくなり、死因解明のための司法解剖を要請したところ、事件性が無いとして
拒否されました。

弟さんの死に顔を見たいと申し入れところ、これも拒否されました。
後になって思うのに、遺体は既に腐乱しており、遺体安置室に置けるような状態ではなく、既に
千種警察から、遺品整理業者を通して火葬の手続きが終わっていたものと思われます。

名古屋市の火葬は混んでおり、しばらくして火葬の日時の連絡が有り、彼がただ一人遺族として
火葬場に立ち合い、骨を拾い骨壺に収め、後日富山の方に在る先祖代々の墓に収めました



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