−日記帳(N0.1787)2016年04月07日−
71年前の今日、戦艦大和沈没
−日記帳(N0.1788) 2016年04月08日−
北島康介選手の引退に思うこと


「戦艦大和戦死者之碑」に献花する人たち

最後の競泳に臨む北島康介選手


太平洋戦争中、旧日本海軍の戦艦「大和」が鹿児島県沖に沈没して71年目に当たる今日7日、広島県呉市の長迫公園(旧海軍墓地)で、約3,000人の戦没者の追悼式が行われ、元乗組員や遺族、市関係者ら約150人が参加しました。雨と風で桜の花びらが舞う中、戦死した乗組員に黙とうをささげ、「戦艦大和戦死者之碑」に献花しました。

戦艦大和撃沈の様子

戦艦大和を旗艦とし、巡洋艦矢矧以下8隻の駆逐艦(「霞」「浜風」「磯風」「朝霜」「冬月」「涼月」「雪風」「初霜」) からなる「天1号作戦」は日本海軍最後の艦隊でした。このうち戦後まで生き残って駆逐艦としての戦力を保有していたのは、「雪風」のみでした。「雪風」は沈みゆく戦艦大和から飛び込んだ将兵たちを救助するなど、その戦績は今も尚語り続けられております。「雪風」をはじめ8隻の戦艦大和護衛駆逐艦隊の功績を偲び、その雄姿を以下に留め置きたいと思います。

駆逐艦「朝霜」

駆逐艦「涼月」

駆逐艦「冬月」

駆逐艦「浜風」

駆逐艦「初霜」

駆逐艦「磯風」

駆逐艦「霞」

駆逐艦「雪風」

最後の競技を終えて、記者会見に臨んだ北島康介(33)選手=日本コカ・コーラ=の表情は晴れやかでした。しかし、語っていくほどに目が潤んでいきました。彼の脳裏に恩師、平井伯昌コーチ(53)が浮かんだのでしょう。そして「何んも言えねー」と彼独特の言い回しで会見を終えました。

こうして、競泳男子平泳ぎで史上初の五輪2大会連続2冠に輝いた北島康介選手が8日、現役引退を表明した。東京辰巳国際水泳場で行われたリオデジャネイロ五輪代表選考会を兼ねた日本選手権男子200メートル平泳ぎ決勝で5位に終わり、100メートルに続いて落選。5大会連続の五輪出場がなくなり、レース後に「五輪で終わるか日本選手権で終わるか、覚悟を持ってやってきたつもり。(真剣勝負は)自分の中では終わりです」と語って事実上の引退を表明しました。

北島は五輪に初出場した2000年シドニー大会で100メートル4位。続く04年アテネ、08年北京大会では100メートル、200メートルの平泳ぎ2冠を果たし、北京大会後に休養し、復帰後の12年ロンドン五輪では個人種目のメダルを逃しましたが、メドレーリレーで銀を獲得。4大会で金4、銀1、銅2の計7個を手にしました。

今大会の100メートルでは2位に入ったものの、日本水泳連盟が定めた派遣標準記録を突破できず、五輪出場権を獲得できず、最後のレースを終えて、平井伯昌コーチらへの感謝の気持ちを表すと、目に涙を浮かべた。「結果は結果なので受け止める。最後まで自分の攻めのレースができた。悔しいが、晴れ晴れしい、やり切った気持ちでいっぱい」と。

平井伯昌コーチが、中学生だった北島少年の泳ぎをみて将来有望と見込み、育て上げていく過程は、当サイト「北島康介物語」で取り上げております。また、ひとつ、スポーツ界から明かりがひとつ消え、寂しい思いがします。

前 頁 へ 目 次 へ 次 頁 へ