−日記帳(N0.1775)2016年03月19日− |
ツタンカーメンの墓に2つの隠し部屋判明 |
−日記帳(N0.1776) 2016年03月21日− |
十三夜は絢爛豪華なオリオン座とともに |
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ツタンカーメンの黄金のマスク |
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月の左に木星、ほぼ中央にペテルギウスが赤っぽく、その下にリゲルとシリウス |
このところ暗いニュースが続いていたエジプトから明るいニュースが飛び込んできました。 古代エジプト王国のツタンカーメン王(Tutankhamun)の墓を、日本人研究者でレーダー観測の専門家・渡辺広勝さんがレーダースキャンで解析した結果、 内部に90%の確率で有機物が存在することが判明したことを、マムドゥフ・ダマティ(Mamdouh Damati)考古相が17日、発表した からです。 | |
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記者会見で発表するマムドゥフ・ダマティ・エジプト考古相 | |
私は根っからの古代エジプト王国ファンで、ネットを通して情報収集し、挙句の果てに現地エジプトを訪れております。 その成果を古代エジプト王国の歴史で纏めております。古代エジプト王国に纏わる主な埋葬品はカイロの博物館に在りますが、大きな物はルクソール等の現地に保存・公開されております。 古代エジプト王国のファラオたちは死後もあの世で復活できるものと信じ、自らの遺体をミイラにして盗掘に遭わないように地下に埋葬するよう命じておりました。その埋葬地として選ばれたのが、ルクソールナイル川西岸にある「王家の谷」として知られる谷(下の写真)でした。 | |
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ツタンカーメンの王墓は下図の7番で、ツタンカーメンのミイラはその王墓(KV62)内に安置されております。多くの王族のミイラはカイロの考古学博物館に保管されるのですが、発見者のイギリスの考古学者ハワード・カーターの遺言によりそのまま王墓で眠り続けることになりました。 | |
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ツタンカーメン王墓の入り口 | |
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ツタンカーメンはアメンヘテプ4世の息子として生まれましたが、正式な世継ぎではなかったためミイラの作りに手抜きが有ったようで、ミイラは傷みが激しく展示するにはかなりの修復を要しました。保存状態が比較的良い顔と足先の部分を覆っていた布が取り外された上、アクリル樹脂製のケース内に保管され、上の写真に示す状態で一般公開されております。 従って、この部屋の壁の向こうに隠し部屋が在ることになります。ともに美女だったツタンカーメンの妻、アンケセナーメン、義母ネフェルティティのミイラは未だ発見されておりません。もし、彼女たちのミイラだったら世紀の大発見となります。壁を壊すことなく壁の向こうに在る有機物を特定化されることを期待します。 | |
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黄金の椅子に描かれている仲睦まじいツタンカーメンと愛妻アンケセナーメン | |
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発表するマムドゥフ・ダマティ考古相 |
電灯が無かった時代、恋人たちは人目を忍んで、十五夜とその前後の二日間の月明かりを頼りに逢瀬を楽しんだことと思います。二日前を十三夜、一日前を十四夜(小望月(こもちづき))、1日後を十六夜(いざよい)、2日後を立待月(たちまちづき)と呼んでおります。 今晩はその十三夜です。庭に出て夜空を見上げると雲一つない夜空に星たちがさんざめいておりました。 私の大好きなオリオン座の星たちが際立って美しく輝いておりました。中でも冬の大三角を形成するペテルギウス(642光年 太陽の約20倍 3,500Kで赤色)、シリウス(8.6光年 太陽の約1.7倍 9,900Kで白色)、プロキオン(11.5光年 太陽の約2倍 6,530Kで黄色)の三つの星が際立っておりました。> |
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冬の大三角を形成するペテルギウス、プロキオン、シリウス |
この三つの星のうち、日本が南北朝時代だった頃ペテルギウスを出発した光がようやく地球に到達して、今晩観ているので歴史を感じます。でも、プロキオン、シリウスは今世紀になってから出発した光を観ているので現実感をもって観ることができます。 その点、木星(40光分)、金星(8光分) 火星(13光分)など惑星は僅か数分から数十分前の姿をみているわけですから臨場感を持って観ることができます。ペテルギウスのような遠い恒星は恒星はロマン、シリウスのような近い星は現実感、惑星のような身近な星は臨場感を持って観ることができます。 |
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