−日記帳(N0.1771)2016年03月08日−
メールについて一考
−日記帳(N0.1772) 2016年03月11日−
東日本大震災五周年追悼式


@マーク付き電子メールアドレス考案者レイ・トムリンソン氏

追悼式での天皇皇后両陛下


戦前、戦後、個人で連絡を取り合う手段は、電話か電報しか有りませんでした。私も在学中、生活費が足りなくなると郵便局に駆け込んで「カネオクレ」の電報を打ったものでした。今では、Skype等により顔を見合わせながら電話したり、パソコンや携帯からメールで連絡できるようになりました。

メールは複数の連絡先に、写真添付したり、相手に受信確認を督促することなどが出来るので大変便利です。特に、同窓会などの会合の 日時を打ち合わせるのに無くてはならない手段になっております。こんな便利なメールを考えて世界に普及させたレイ・トムリンソン氏が74歳の若さで3月6日死去しました。

トムリンソン氏は1971年後半に、ARPANETを介してつながる2つのコンピューター間で電子メールの送受信に世界で初めて成功しました。初のメール送信成功からしばらくしてトムリンソン氏は、メール送信の際にローカルネットワークにいるユーザーとグローバル・ネットワークのユーザーを区別するため、アットマーク"@"を使ったメールアドレスの表記法を考案しました。

これが ARPANET 内で大きく支持されることとなり、メールユーザーはまたたくまに千人規模にまで膨れ上がりました。さらには ARPANET に接続していないネットワークのユーザーからも"@"を使ったメールアドレスの使用を望む声が高まりました。

その後、ARPANET は世界中のネットワークに接続してインターネットへと進化しました。電子メールの分野ではプロトコルこそ変遷があったものの、現在に至るまでトムリンソン氏の"@"マーク付きメールアドレスが利用され続けております。さらに、Twitter や Facebook など現在の SNS でも"@"マークは個人へ直接メッセージを送る際の記号として定着しております。

メールはWebメールとe-メールに大別されます。WebメールはWWW(World Wide Web)で代表されるWebを介して無料で送受信できます。 Googleの「Gmail」(6.4GB)、マイクロソフトの「Windows Live Hotmail」(5GB)、YahooのYahoo!メール(2GB)などがWebメールの代表例です。無料サービスであるにもかかわらずギガバイトクラスのメールボックス容量が提供されておりますので生涯、ボックスからメールデータを削除しなくてもいいかもしれません。

e-メールは有料でプロバイダーやメールサーバーと契約し、メールソフトをインストールする必要が有ります。Webメールはブラウザでメールサービスのホームページからログインするだけで、メールソフトをインストールする必要は有りません。 私はe-メールで日常、送受信し、Webメールはe-メールが一時的に使用できなくなった場合にしようすることにしております。e-メール では、送受信トレイを自分好みに構築できますので大変使いやすくなっております。

東日本大震災の発生から5年となる今日3月11日、天皇皇后両陛下が出席されて、政府主催の追悼式が東京の国立劇場で開かれ、地震の発生時刻に合わせ安倍総理大臣や遺族の代表ら出席者全員が黙とうをささげて、震災で亡くなった人たちに哀悼の意を表しました。

続いて、安倍総理大臣が「一歩ずつではありますが、復興は確実に前進しています。多くの犠牲の下に得られた貴重な教訓を決して風化させることなく、政府一丸となって災害に強い強じんな国づくりを進めていくことを、改めてここに固くお誓いいたします」と式辞を述べました。

天皇陛下は、「被災地で、また避難先で、今日もなお多くの人が苦難の生活を続けています。困難の中にいる人々、一人ひとりが取り残されることなく、一日も早く普通の生活を取り戻すことができるよう、これからも国民が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います」と、おことばを述べられました。

このあと、追悼式では岩手、宮城、福島の3県の遺族の代表があいさつしました。岩手県の遺族代表の山本永都さんは「大好きだった父はいまだに帰らぬままです。震災直後は、『なぜ、父は防潮堤の水門を閉めに行かなければならなかったのか』と母を問い詰めてしまうこともありました。今では消防団員として住民の命を守ろうとした父を、とても誇りに思い、尊敬しています」と述べました。

宮城県の遺族代表の木村正清さんは、「震災直後の実家の光景を今も忘れることができません。基礎を残し跡形もなくなった土の上に、生前の両親を映し出すかのように、折り重なるようにして見つかった夫婦茶わんが唯一の形見になってしまいました。お父さん・お母さんの死を決してむだにすることなく、地域防災に貢献できるよう全力を尽くすので、天から見守っていてください」と述べました。

福島県の遺族代表の佐久間國幸さんは、「原子力発電所の事故により避難を余儀なくされ、父は長期にわたる避難生活の末に、ふるさとから遠く離れた雪国でその生涯を閉じました。大震災を風化させないために、私たちの経験を、これから先も、子々孫々、そして世界中に伝えていくことが重要なのではないかと思います」と述べました。 このあと、追悼式では、各国の代表ら参列者が献花を行い、犠牲者を悼みました。

遺族代表の3人(木村正清さん 山本永都さん 佐久間國幸さん)

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