−日記帳(N0.1693)2015年09月26日−
中日・山本昌投手の引退に思うこと
−日記帳(N0.1694) 2015年09月28日−
今晩の満月はスーパームン


中日ドラゴンズ・山本昌投手

伏見稲荷大社の上空で輝くスーパームン


山本昌投手が両手でグラブを突き上げるように大きく振りかぶって投げ下ろす球の球速こそ130キロ台ですが、打者はその投球フォームに惑わされて140キロ台に感じられるのでしょう。彼の球歴もその投球フォームのようにゆったりとしており、初勝利は高卒入団しから5年も要しました。

山本昌投手の直球の回転数は52回転/秒と多く、通常の投手の平均回転数37回転/秒より大きい特徴を持っております。その結果、初速と終速の差も小さくなっております。 そのため、打者にはより速く感じさせることになります。

彼の家の玄関にはアイク生原さんの遺影が飾られております。彼は引退することをアイク生原さんの遺影に向けて報告したことと思います。アイク生原さんは彼にとって終生の恩人だからです。彼の投手としての素質をアイク生原さんは見抜いたのでした。
アイク生原さんの棺の前で泣き崩れて立ち上がれなかった逸話は語り草になっております。

200勝達成を恩師アイク生原さんのお墓にワインを注いで報告する山本昌投手

山本昌投手は昭和59年に中日に入団しましたが、星野監督により見はなされたような形で米国留学を命ぜられました。彼はその機会にアイク生原さんと出あう幸運に恵まれました。アイク生原さんに才能を見い出され、山本昌投手は大きく飛躍していきました。

アメリカ留学で習得したスクリューボールを武器にエースに成長し、最多勝のタイトルを3回獲得し、平成6年は19勝を挙げて沢村賞も手にしました。 更に、平成18年には41歳1か月でノーヒットノーランを達成し、プロ野球史上最年長記録となりました。

さらに、去年9月には49歳で勝利を挙げて、昭和25年の阪急・浜崎真二投手の48歳10か月を64年ぶりに更新し、これまでにプロ野球史上16位の通算219勝を挙げています。 山本昌投手は先月9日に49歳11か月で今シーズン、初めて登板しプロ野球の最年長出場記録を再び更新しましたが、左手の突き指のため2回途中でマウンドを降りて、2軍で調整していました。

山本昌投手は、今シーズン限りで引退する意向を固め、球団側に伝え、自身のホームページで次のように語っております。

今シーズン限りでユニホームを脱ぐことを決めました。8月の登板で故障して以来、どうするべきか悩みに悩みましたが、きのうチームの今季本拠地最終戦でナゴヤドームに行き、若返りを推進しているドラゴンズの現状を目の当たりにして、ボクが残ったらダメだと強く感じ、引退を決めました。落合GMからは先日、「自分で決めろ」と言われましたが、やるかやらないかを決めるのではなく、だれもやめろとは言わないので、自分で決断しなさいという意味だったのだと、今は理解しています。モイヤーの大リーグ最年長勝利記録の更新や、50歳登板というみなさんに期待していただいたことを実現できなかったのは残念ですが、ボク自身は心を決めた今、とってもすっきりしています。きょう、白井文吾オーナーに報告させていただいたので、最近はあまり更新できませんでしたが、開設以来18年間もお付き合いいただいたこのホームページをご覧のみなさんには早くお伝えしたいと思い、こうしてお知らせしています。とにかく、ファンのみなさんのご声援がなければ一歩たりとも進めなかった32年間でした。感謝、という言葉しか、思いつきません。こんな幸せな野球人生は、生まれ変わっても二度と送れないでしょう。また、この決断へ至るさまざまなことは、もしかしたら最後になるかもしれない「エッセイ」で、お話しさせていただきます。本当に長い間、ありがとうございました。


月が地球の周囲を真円で回っていれば、地球と月の距離、地球から見る月の大きさはいずれも同じですが、楕円で回っている上に太陽による引力の影響を受けるため常に異なります。楕円には二つの焦点が有ります。地球が太陽より遠い側の焦点に位置した時、月はスーパームンとなります。

スーパームンの図解説明

国立天文台によると、地球と月の距離は平均約38.4万kmありますが、今晩28日は1年で最も近い35.69万kmまで接近します。今年最小だった3月6日の満月と比べると、直径が11.14倍大きくなり、約3割明るく見えるとのことです。

東京で見られたスーパームン

メキシコで見られたスーパームン

米国・ネヴァダで見られたスーパームン

ポータンドで見られたスーパームン

米国で見られたスーパームン

我が家の庭から見られたスーパームン

前 頁 へ 目 次 へ 次 頁 へ