中欧5ケ国旅行を終えて思うこと(7)
(第2次大戦の戦災の跡を見付けた!)
中欧5ケ国旅行を終えて思うこと(8)
(ブダペストのドナウ川の夜景は幻想的だった!)


爆撃跡が残るベルリンのカイザー・ヴィルヘルム記念教会

ベルリンのカイザー・ヴィルヘルム記念教会は、1888年に死去したドイツ皇帝ヴィルヘルム1世を追悼して1895年9月1日に落成し、教会内に吊るされた巨大な鐘は普仏戦争で戦利品として獲得した大砲を溶かして作られ当時ドイツで最大の鐘として知られておりました。しかっし、ドイツがロンドンを誤爆した報復として行われた1943年11月23日のベルリン大空襲で破壊されてしまいました。

殆ど廃墟と化したこの教会を全面修復して再建する意味は無かったのですが、戦争の悲惨さを後世に伝える目的で、最低限の修復を施した上で敢えて破壊されたままの姿で保存され、広島の原爆ドームと同様に、ベルリンの空襲の悲惨さを伝えております。ただ、記念碑だけの原爆ドームと異なり、教会の機能は同じ敷地内に1962年に作られた現代的なビル型教会に委ねられているものの、時計台・記念ホールとして現在も使われております。

ベルリンのカイザー・ヴィルヘルム記念教会全景(→引用画像)

ドナウ川西岸一のブダ地区は、古代ローマの属領時代から続く古い街で、1849年ドナウ川に「くさり橋」と呼ばれる橋が架けられたことによって対岸のペストという街と往来できるようになり、1873年にブダの北にあるオーブダを含めてブダとペストは合併しハンガリーの首都ブダペストが誕生しました。ブタにある王宮(ブダ城)は、 13世紀のモンゴル人の侵攻後、岩山の上につくられた砦で、現在の王宮は1770年にハンガリー女王であり、オーストリア大公でもあったマリア・テレジアによって建てられ、1890年以降にネオ・バロック様式で改造されました。政地内には漁夫の砦、マーチャーシュ教会、軍事史博物館などがあります。下の写真はその軍事史博物館です。 1847年に兵舎として建てられた建物で、9世紀から第2次世界大戦時までに、ハンガリーで使用されていた武器や兵器が展示されております。

ブダ城内にある軍事史博物館

この建物に近づいてみると、建物には下の画像に示すように無数の弾痕が見られました。この地域は第二次大戦、ハンガリー動乱で戦場と化しておりますので、そのいずれかによって被弾したものと思われます。敢えて、補修しないのは、軍事史博物館として、その戦災の歴史を示しているのかもしれません。

軍事史博物館の建物に残された弾痕


王宮の丘から望む夕暮れなずむドナウ川の景色

上の画像は私が撮ったものではありませんが、ドナウ川にかかるくさり橋を被写体にして、夕日に染まりながら暮れていくブタペストの夜景を撮るには、どうしてもドナウ川を一望できる王宮の丘からの画像が必要です。幸い、購入した絵葉書の中に、王宮の丘から撮影されたドナウ川の景色が有りましたのでコピーして上に掲載させて頂きました。


冒頭の画像が撮られた王宮の丘とくさり橋の位置関係を上図に示します。この王宮の丘から北西の方向を望むと 冒頭の画像の視野が得られます。上図の赤線は我々がツアーでドナウ川をナイトクルージングした時の遊覧船のコースで、@からFまでの囲み数字は、私がこの遊覧船上からデジカメで撮影した時のコース上の位置です。以下に、その時撮影した7枚の画像を時間経過に従ってアップしていきます。

(撮影位置=@ 時刻=7月16日21時03分)
国会議事堂を左手に見て

(撮影位置=A 時刻=7月16日21時07分)
くさり橋を右前に見て

(撮影位置=B 時刻=7月16日21時07分)
橋を潜って橋を左前に見て

(撮影位置=C 時刻=7月16日21時09分)
夕焼けをバックにくさり橋を左前方に見て

(撮影位置=D 時刻=7月16日21時09分)
夕闇に包まれたくさり橋を右前方に見て

(撮影位置=E 時刻=7月16日21時042分)
王宮を左手に見て

(撮影位置=F 時刻=7月16日21時47分)
国会議事堂を左後方に見て


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